2023年 10月3日
前置き
皆さんにお話しする前に、説明しなければならないことがあります。
私は1972年に日本を出てオーストラリアに行きましたから、私の日本語は20世紀後半のいわゆる標準語です。21世紀生まれの方々には馴染みのない日本語と聞こえるかもしれませんので、お断りしておきます。後で質問してくださってもかまいません。
これからお話しすることは、全て私個人が体験したことに基づいており、神様がお導きくださったことです。全知全能の神は宇宙全体の創造主ですし、人間の一人一人に命をくださった父なる神です。神様はそれぞれの人に適したお導きを与え、最適な方法で成長を助けてくださいます。私は神様が皆さんお一人お一人に合った、最善の方法でお導きくださることを信じています。
イエス様のお名前がカタカナで書かれていたり、どこかで金髪と青い目のイエス様の写真か像を見て、キリスト教は西洋の宗教だと思っていらっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。実際に何人かの人にそう言われたことがありますが、イエス様は人間としてイスラエルに生まれた方ですので、西洋人ではありません。イエス様はアダムとエバから罪を受け継いで生まれた私たちの罪を、ご自分の血を流して洗い清めて下さる唯一のお方です。イスラエルに生まれたお方ですが、人種を問わず、年齢を問わず、宇宙を創造されたお方が、私たちの犯す罪を背負って、創造主とのつながりを再び持てるように、人類を救うために送ってくださった救世主です。
私たちは教えられなくても嘘をつくことがあります。自分を守るためであったり、人を陥れる為であったり、特別の愛情を受けたいがためなどで、嘘をつきます。考えてみてください。嘘をついたことがありますか。それは「こうやって嘘をつくのだ」と教えられたのですか。「嘘も方便」と言いますが、その嘘によって他の人を困らせたことはありませんか。私にはそれを咎める資格はありません。なぜなら子供のころにたくさんの盗みをしたり嘘をついたからです。例えばこんなことを70年たった今でもはっきり覚えています。
育った環境
私は1945年8月4日に、満州国大連市で生まれました。今78歳です。父は陸軍の兵隊で、中国で戦っていました。母は母の兄夫婦、私の伯父と伯母と大連に船で渡ったそうです。第二次世界大戦が日本の無条件降伏で終わり、1947年に船で日本に引き上げて来たそうですが、そのころのことは何も覚えておりません。
私の父親が戦友のビジネスの保証人になって、その人が破産した時、父も全部失いました。家族は路頭に迷いました。それを恥じたのか、父は家族を置いてどこかに消えてしまいました。私が5歳ぐらいの時です。後で知ったことですが、浮浪者収容所で生きていたのです。私が12歳になるまで家族のもとに帰ってきませんでした。母と3人の子供は東京の大きな家の一間を借りて、親戚の援助で生きていました。
そんな子供時代、借りていた2階の一間から、お向かいの家の大きな庭に栗の木や、柿の木、イチジクの木があるのが見えて、私は食べたいと思いました。たくさん生えていたので、少しとっても気が付かないだろうし、その家の人は困らないだろうと考えました。自己正当化ですね。どうしても食べたいと思ったのです。塀の下をくぐったり、塀に上ってそれらの果物を取りました。
その家の持ち主は郵便局長さんで、ある時「ほしい時は言いなさい。あげるから」と教えたのですが、私はついに「取らせてください」と断って果物を取った記憶がありません。いつも盗んでいました。
もう一つの例は、小学校の3年生ぐらいだったと思います。うちの近所に文房具屋さんができました。新井文房具店です。叔母が5円だったか10円だったかをくれて、私はそのコインを握りしめてその文房具屋に行きました。そのころ私はきれいな着物を着た女の子の塗り絵が好きでした。着物など一枚も持っていませんでしたから塗り絵で欲求を満たしていたのです。
袋に入っている「きいち」という人の塗り絵と「フジオ」という人の塗り絵が大好きでしたが、持っていたコインで買えるのは一袋だけでしたから、子供ながらの知恵を使って、2つの袋を混ぜて、自分で好きな絵を1つの袋に入れてお金を払って家に帰って塗り絵を楽しみました。あまり好きでない絵は残りの袋に入れて店に置いてきたのです。ですから、新井文房具店のおじいさんは、私が店を出た後、売り物になりませんから、残りの絵を取り去っていらしたはずです。でも私に罪の意識は一切ありませんでした。きれいに好きな色で塗って楽しんだのです。
今考えますと、新井文房具店のおじいさんは私が何をしていたか見ていらしたのです。でも何も咎めずに見逃してくださいました。そのおじいさんのことを今でもはっきり思い出します。そして自分のしたことが悪いとは思わずに何度もその店に行きました。今思い出すと恥ずかしくなります。
その2人のおじいさんのことをこの年になって考えます。貧乏人のかわいそうな子供と思って見逃してくださったのでしょう。
なんでそんな話をするかというと、自分の欲望を満たすために人間は盗みをしたり、嘘をつくことがあると言いたいからです。近所の家の塀に落書きをしたり、呼び鈴を押して逃げ去る子供を何人も見たことがあります。スリルを楽しんだのでしょう。
苦労という主からの恵みがあるということをお話しするのは私の大切な目的です。なぜなら、苦労なくして強くならないからです。今苦しんでいる方は、こんな苦労はもう耐えられないと思っていらっしゃるかもしれません。主は全て見ていらっしゃいます。信仰をお持ちでない方も、その間も主は見ていらっしゃいます。私は長いことキリスト教というものを避けていました。宗教に頼らないでも生きていけると自信を持っていたのです。何が何でも生きていかなければならないと思って頑張っていました。
戦争が終わって、日本に帰り、東京に住みましたが、東京は焼野原でした。4歳か5歳のころに、母が結婚前まで住んでいた池袋の家の焼け跡を見に連れて行ってくれたのを覚えています。そんな中から日本人はもう一度日本を立ち上げたのです。
オーストラリアへ
時がたち、伯父たちの援助で高校まで行かせてもらい、卒業して就職をしました。結婚して、子供に恵まれて、何の苦労もなく生きていくのが夢でした。自分なりにかなり努力をしていたつもりです。
ところが日本では誰も結婚してくれる人がいなかったのです。これは大変だと思って、生涯自分を支えていくにはどうしたらいいかと考えました。英語が好きでしたので、成績は良くなかったのですが、働きながら英会話学校にも通っていました。検定試験2級は受かったのですが、通訳の試験には落ちました。英語で食べていくには外国で勉強するしかないと決心し、アメリカに行こうとお金を貯め始めました。
ロスアンゼルスだったと記憶していますが、1970年ごろに日本人が3人殺されたのです。理由もわからずに、これは危ないと思い、さて、英語を話す国はどこがいいかと考えて、オーストラリアに方向を変えました。中学校のクラスメートがシドニーで新聞記者をしていたこともあります。
船でいけば習慣も多少は覚えるし、食べ物にも慣れるだろうということで、横浜からニューギニアのラバウル経由で13日間かけてシドニーに着きました。
その船に4,5人のオーストラリア人の青年がニューギニアのラバウルから船に乗って来たのです。銀行員で、2年間のニューギニアでの勤務を終えて、シドニーに戻る所だったそうです。
船の中では毎日いろいろな催し物があります。ある晩、船の中で出会った日本人女性5人と着物を着て盆踊りをしましたら、大きなラウンジルームの反対側に座っていた青年の1人が「Stupid](まぬけ)と言ったのです。私はそれを聞き逃しませんでした。それで私は「Stupid」(まぬけ)と言いましたか?と、その青年に直接聞きに行きました。日本の文化を馬鹿にされたと思ったのです。その青年は平謝りに謝りました。そうやって出会ったのが今の私の夫です。彼は、そんなに強い人ならもっと知りたいと思ったそうです。
ブリスベンで日本人女性1人が下船したので、私たちは4人になっていました。シドニーに着いた時、その青年は友人と、船で会った日本人女性4人をシドニーへ案内してくれたのです。
オーストラリアでは21歳が成人です。その誕生日パーティに日本人女性4人を招待したらしいですが、招待に応えて行ったのは私だけだったのです。それから交際が始まりました。なんとも大胆なことのように思われるでしょうが、後で考えてみますと、これは神様のお取り計らいだったと信じられるのです。
幸いなことに、その青年は誠実な人のようでした。私も英語の勉強をシドニーの英語学校でしながら、手紙の交換やその青年の両親の家で2週間に1回会うことにも発展していきました。夫が私の書いた手紙をとっておいたので、後で読んだことがありますが、何を言いたいのか自分でもわかりにくい英語です。
キリスト教への興味は全くありませんでしたが、結婚にまで進み、その青年がカトリック教信者の家庭で育って、カトリックの学校を出ていたので、カトリック教会で結婚しました。その結婚式で、他の男性のことは一切忘れ、忠実についていきます、という結婚の誓いをしました。
子供3人にも恵まれ、だんだん大きくなるにつれて、どうやって育てたらいいのかわかりませんでした。私には基本的な育児教育の準備がなかったのです。みんなが母親になっているから、自分にもできると思って疑いませんでした。この点でも非常に無知で大胆でした。あるいは、無知だったから大胆だったのかもしれません。
バプテスト教会との出会いと大学時代
ある日バプテスト教会に通っているご近所のカレン・ビューデンという女性が教会に誘ってくださいました。でも、宗教は必要無いと思っていましたから、いろいろ言い訳を作ってお断りしていました。でもその女性は決してあきらめずに何度も誘ってくださったのです。それで、言い訳も尽きてしまい、しぶしぶその方と教会に行きました。その教会が、デビ姉妹のご家族が通っていらしたBerean Baptist Churchだったのです。それが1980年頃です。
私は気付かなかったのですが、神様はずっとお導きくださっていたのです。
でも素直ではありませんでしたから、なかなか聖書にも興味を持てませんでしたし、イエス様とか、神様とか、聖霊様とかになじむのに何年もかかりました。
今振り返ると、当時はまだしっかりと理解できてはいませんでしたが、1983年にバプテスマを受けました。それはデビ姉妹のご両親のお宅のプールでした。ただ主は忍耐強くお導き続けてくださったのです。
子供たちを3人も恵んでくださいましたが、自分一人で格闘しているようでした。私自身の経験では、ずっとこの世的な生き方をしていて、どっちつかずでした。遠回りをしていたのです。
今はっきり言えますが、主と歩むことを選ぶか、一人で格闘するか、どちらを選ぶかは私たちの決断です。神様は決して無理強いをなさらないからです。自由意思を尊ばれるお方です。それで主と共に歩もうと決めたら、そのお力を、一人一人に丁度合うように示してくださいます。多すぎもせず、少なすぎることもなく、です。振り返った時それがわかります。私の経験では、神様は進む道を一歩踏み出す前に見せてくださることはありません。踏み出すと、導いてくださいます。
今までご自分の努力で人生を乗り越えていらした方は、もう遅すぎると思うかもしれません。そうではありません。「救いの日は今日である」という聖句は真実だと信じます。
子供たち3人が全員学校へ行き始めたとき、私は大学に入るための勉強を始めました。若い頃から大学には行きたいと思っていたのですが、家庭が貧しかったし、奨学金を貰えるほど成績も良くなかったのです。それに、貧しい家庭に育ちましたので、就職して家計を助けるのが第一でした。
2年大学受験の準備をして40歳の時大学入学の試験を受けました。大学に入れる点数は取れませんでした。夫が情報を得て、25歳以上の受験者にはMature Student Entryという特典があることを知りました。自分が後で経験したことですが、25歳以上で大学で勉強したいと思う人のほとんどは、本当に勉強したくて受けるので、ずっと卒業まで頑張る人が多いのです。そのMature Student Entryで、1986年にぎりぎりの成績でシドニー大学に入りました。
とにかく貧乏生活から抜け出たいと思っていましたから、それまでは早く収入をたくさん得られる職を探すことばかり考えていました。でも神様からのお導きで、大学に入ってじっくり訓練をする教職という職業に導かれたのです。
シドニー大学までは、電車とバスを乗り継いで片道2時間近くかかる通学でした。子供がまだ小学生でしたから、子供たちの学校との兼ね合いが優先しました。子供たちが学校に早く行き過ぎないように、子供たちよりあまり遅く家に帰らないように、教科を選びました。子供たちが少し具合が悪そうだと、大学に行きたいという自分の気持ちと、どちらを選択したらいいのかわからない時がありました。そういう時は、「どうしたらいいでしょう」と神様にお聞きしました。すると子供の熱が急に上がったり、吐き気があったりして、子供の看病が優先だと決め易くしてくださいました。ありがたかったです。
又、大学には年に2回試験の期間がありました。その時期は学期の始めから分かっていましたから、その時は主人が休暇をとって子供の世話をしてくれました。万が一病気の時は面倒を見てくれて、安心して試験に臨めたのです。
エバンズ牧師と私はシドニー大学で同級生だったクラスがあります。日本語社会言語学と、日本の歴史だったのを覚えています。すでに日本語教育に関する仕事をすると導かれていましたから、そのための準備として日本語を第一科目として取りました。日本語を外国人に教えるのと日本語を日本人に教えるのとでは違うからです。
優秀な2年生のエバンズ牧師は、1年生の私より色々な事を分かっていらっしゃるようでした。大きな大学で、勉強の仕方もわからず、私は戸惑っていました。英文学も選択科目として取ったのですが、私が小説の1章を辞書を引きながらやっと読んでいるとき、英語が母国語の人は小説全部を読み終わっていたのです。英文学の科目は当然ながら落ちました。夫は、「学位をとるのが簡単ならみんな取っているよ」と慰めてくれました。でも、辞書を引きながら読んだことは大変良い勉強になりました。
霊的な経験
今でもはっきり覚えていますが、1986年11月のある夜明け前にマタイ書6章33節を読みなさいと導かれました。その時はわからなかったのですが、今思うとそれは聖霊様の働きによるものだったと思います。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」という聖句です。それらのものとは、食べる物や着る物などのこの世で生活するうえで必要な物を指しています。
その日ちょうど大学で日本語社会言語学の講義がありました。すると、2年生だったトニー・エバンズさんがその日に限って私の前の席に座っていらしたのです。その日の夜明け前に起こったことを話したところ、「それは素晴らしい」とおっしゃってくださいました。わたしはその聖句の意味もよくわかっていなかったし、何が素晴らしいのかもさっぱりわかりませんでした。文章の暗記は苦手ですが、不思議と聖霊様がくださった文は暗記できていますし、忘れません。
そんな貴重な経験があったのに、名ばかりのクリスチャンで、この世と離れていなかったのです。うまく立ち回っているつもりでしたが、聖霊様をごまかすことはできません。聖霊様は意識の世界は勿論のこと、意識下のことまで見ていらっしゃいます。私は自分を騙していたのに、それも気付かずに「いい子ぶって」いたのです。それを聖霊様は優しく、然しごまかしのきかない方法で見せてくださいました。ただ、ただ悔い改めました。
合計5年で大学を卒業するという時に、家から車で7分の所にある大学で、日本語を教える講師を募集していたので応募しました。しかし、教えた経験が足りないということで就職できませんでした。必ず就職できると思い込んでいたので、がっかりでした。絶対これは神様からのお導きで、恵みだと信じていたのですから。
ところが、その日本語講師の採用が決まった方がその採用を辞退し、次候補だった私のところに話が回ってきたのです。勿論、二つ返事で喜んでお引き受けしました。あとで気が付いたのですが、大学の入試にしても、就職の件でも、すんなり行かなかったのは、神様に頼ることと謙虚になることの訓練だったと思えます。
大学で何もないところから日本語科を立ち上げるのですから、本当に大変でした。自分が教える科目のほか、日本語を専攻する学生のコースを考えていかなければならなかったのです。
大学には学士号、修士号、博士号とあります。学士号と修士号はシドニー大学で取ったのですが、学生の中で博士号を取りたい人も出てきて、その学生を指導するのには博士号の資格が要ります。その必要性で博士号を取るためにパートタイムで研究も進めていました。神様のお与えくださった力なしでは到底できることではありませんでした。当時はそんなことを考える暇もなく、がむしゃらに教える準備をして、週末や大学の休みの時に博士号に向けての研究をしました。でも、とにかく必ず日曜日には教会に行っていました。
10年かかってやっと論文を書き終わり、提出しました。私が学んでいた日本近代文学の博士号の検査官は3人で、できれば違う国のその道の専門家3人を指定することになっており、アメリカ、イギリス、オーストラリアの日本近代文学専門家が検査官でした。パートタイムで研究しながらやっと論文を提出したところ、3人の試験官から、「このままの形では博士号は取れないからやり直ししなさい」とコメントがありました。こんなにすさまじく働いて、そのうえ研究していたのに、ダメだと言われたのです。泣くしかありませんでした。その時、もう既に働いていた長男が、「自分のベストを尽くしてダメだったなら、仕方が無いよ」と慰めてくれました。はっきり覚えています。
論文を突き返されて書き直すのに今まで通り働きながらするのは無理だとわかり、半年間給料なしの休みを取りましたが、その間も神様の導きがありました。
また、大きな事故や怪我から特別な方法で守られた経験や、子供時代に欲していた父親の愛に対する渇望への気づきなどを経て、主なる神は生きていらっしゃり、聖霊様も守り励まし、導いて下さることをはっきりと理解したのです。
すずらん聖書バプテスト教会とのつながり
私には説明できないのですが、どういう訳か私が通っている教会を通じて、このすずらん聖書バプテスト教会とのつながりを続けています。これは主のお取り計らいだと思えてなりません。
例えば、私に大学での職が与えられ、研究休暇で日本に2か月ほど滞在したことがあります。その時、ある方の仏教徒のお葬式が静岡であり、親戚ですので、出席することになりました。お供えの食べ物を食べてもいいのかどうかがわかりませんでしたので、北海道のエバンズ牧師ご夫妻に電話をしたことがあります。「食べていいか悪いかわからないなら食べない方がいいでしょう」と教えてくださいました。私は食べない方を取りました。
なんといっても主なつながりは、私が通っている教会にすずらん聖書バプテスト教会が祈りのニュースレターを送ってくださるので、それを通してこちらの様子がわかることでしょう。
エバンズご一家が北海道に導かれていらしたとき、ご家族だけで礼拝されていたのをはっきり覚えています。それから段々と礼拝にいらっしゃる方が増えてきたのを見ております。2019年には26年の歩みとして、新会堂記念の雑誌と皆さんの寄せ書きを送ってくださいました。立派な教会の建物と、考えていた以上にたくさんの方が加わっていらっしゃるのにびっくりしました。心から喜びました。
すずらん聖書バプテスト教会が成長しているのは、たゆまないエバンズ牧師ご夫妻の主にご誠実なこと、そのご誠実な戦いを知った方が、一人、一人と集まって、一緒に主を礼拝し、励ましあって今日のすずらん聖書バプテスト教会があることを疑いません。
エバンズ家のお子さん方もどんどん成長して、ご家族の皆さんの信仰と教会を通して一つの使命を心に確固としてしっかり結びあっているからだと信じます。主のお教えに従い、誠実にお仕えする人たちに、主はあふれるばかりの祝福を注いでくださいます。私も不器用に、時には「このお金で靴が買えるなあ、」などと出し惜しみをしたこともあります。でもなんとか献金を守っています。すると、マラキ書3章10節のお約束が降り注ぎ、主のご誠実さをはっきりと見せていただいています。
「十分の一をことごとく、宝物蔵に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。万軍の主は仰せられる わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかを試してみよ。」
又、主は「あなたを決して見捨てない」ともお約束されています。40年、名ばかりのクリスチャンから、不完全なままお仕えしていて、主に裏切られたことは一度もありません。多くの方がそれを経験していらっしゃるでしょう。
エバンズ牧師は表に立って、いわば前線で戦っていらっしゃいますが、ご家庭でしっかり牧師を支え、子供さんの世話をされ、信仰に立っていらっしゃるデビ姉妹がいらっしゃらなければ、今日のすずらん聖書バプテスト教会はありえないことを、エバンズ牧師ご夫妻は良く知っていらっしゃるはずです。一人だけでも頑張れるでしょうが、使徒パウロも手紙で頼んでいるように、皆さんの祈りなしではサタンに打ち勝てません。聖霊様のお力に頼って一歩ずつ皆さんが団結して進むから、勇気を出してわからない次のステップを踏み出しているのでしょう。前にも言いましたが、主は、一歩踏み出さないと、次のステップを見せて下さらないというのが、私の経験です。だから信仰が必要なのだと思います。先が見えて一歩踏み出すのは信仰ではないでしょう。主の教えに従って主を信頼し、誠実に生きていらっしゃるから、主は祝福を注いでくださるのだとわかります。自分が主なしで生きていかれないのを知っていますから、他の方もそうであろうと思えるのです。これは応援している私たちにも大きな喜びです。
神様との関係と霊的な成長
「それでは、聖書の教えはどうやってわかるの?」とお聞きになる方がいらっしゃるかもしれません。主の教えかどうかは聖書と照らし合わせて見てください。それでも聖書がはっきりと示していないこともあります。その時は祈ってください。祈りの答えがすぐに出ないこともありますが、待っている間、神様からの平安があったら、神様に背いていないと考えて良いようです。私はそういう時、神様に念を押します。「こんなことをお聞きしていいのかしら」と心配しないでください。神様は天のお父様です。人間でも、子供が親に聞いて、叱る親は少ないでしょう。ちょっとうるさい時はありますけれど。神様は完全なお方です。真面目にお聞きすることを無視なさったり、馬鹿にされたりはなさいません。私はなんでもお聞きします。
御心でないときは、方向を転換するように導かれたり、もっと待たなければならないことも多々あります。あることで私は27年待ちました。また、あることでは30年以上待っています。その待っている間に一年、一年、忍耐が加わり、自分が成長していくというのが私の経験です。皆さんも経験していらっしゃるかもしれません。
そうやって一歩一歩進んでいると、自分の成長が見えます。これは何よりも嬉しいことではありませんか。私は78歳ですが、自分の成長が見えるとき、素直に嬉しくなり、「神様ありがとうございます」と心から言えます。
すずらん聖書バプテスト教会が主に導かれて活躍していることは、遠くから応援している者をも歓ばせてくださいます。聖霊様を通していますから、地理的な距離は問題ないのです。遠く離れていてもとても励まされますし、それを知ることにより、主のご誠実さをはっきり見られるのです。それは信仰する者にとっての成長の糧です。そして感謝の気持ちが増します。感謝の気持ちを神様にお伝えすることは、栄光を神様に帰することになるでしょう。神様は喜んでくださいます。
とはいえ、この世で肉体を持っていますから、待ち時間が長くて寸時がっかりすることはあります。それも神様はご存じです。耐えられないと思うとき、神様に訴えてください。神様から助けが来ます。他の人を通して助けが来ることもありますが、時には、それは人間からではないとわかります。そして感謝の気持ちが出ると、小さい失敗や、間違いに打ちひしがれません。
勿論私たちが間違いをしたり、人を傷つけたりしたら、すぐに主に告白して、謝り、許していただきます。そしてさわやかに新しい出発ができます。罪の意識という重荷は取り去られたのです。それが喜びに結びつきます。私はダビデ王の肉欲にとらわれ、計画的に自分に不都合な人をこの世から消す計画を立て、その計画が成功したという権力乱用の罪を考えるとき、主がダビデ王を、神の御心を追う者と表現しているのを知り、「えーっ」と驚きます。でも、ダビデ王は、心から悔い改めましたね。そして神は赦されました。その神のお心の大きさに驚嘆します。
心から悔い改めれば、必ず赦してくださいます。それはお約束です。ただ、自分の犯した罪がもたらした結果が表面化することはあります。
赦していただいたら神様に感謝して歓び、新しい出発をしてください。
歓びがあれば、勇気が出ます。勇気が出れば、自分一人で考えてできないと思ったことも、祈りと一緒に、神様に頼って一歩を踏み出せます。私はこのことを学ぶのにずいぶん時間がかかりましたが、ひとたび学んでしまうと神様に対する信頼が増します。信頼が増せば、今までできると思わなかったことができるようになります。
この成長の秘訣は、祈りにあると信じます。心から祈って何かを始めると、全てのコントロールは神にあります。信頼して一歩一歩あゆみます。私の場合、口を閉じて自分自身と神様だけとの対話になります。これも聖霊様のお働きだと信じます。心を赦して分け合える人がいなかったからです。とにかくじっと時を待って、信頼して、神様に相談して進みましょう。神様がエバンズ牧師や、執事に相談しなさいと導かれるかもしれません。
人間ですから、気持ちばかり先になって失敗することもあるかもしれません。すぐに神様にお詫びして、新しく出直してください。そうしているうちにどんどん神様への信頼が大きくなって行きます。そのうち神様が本当に間近になり、平安が続きます。平安があったら、また一歩進めますね。これの繰り返しです。この世はサタンの支配下にありますから、いろいろな方法で皆さんをくじかせようとするでしょう。でも、創世記3章にあるようにサタンの頭はイエス様の復活により砕かれましたから、サタンに創造力はありません。いつもの騙しや、疑いや、勇気をくじく方法で、アタックしてきます。そんな時はイエス様の御名によって、「サタンよ過ぎ去れ!」と命令します。できることなら声を出して命令してください。信じられないかもしれませんが、サタンは過ぎ去ります。私たちの命令ではなく、聖霊様のお力だからです。しつこくやってくることもあります。あきらめずに聖霊様に頼って、命令してください。
そうしていると霊的に成長します。それは人間としての成長にもつながります。成長したら、とても嬉しいですね。歓びを経験したら、もっと神様に歓んでいただきたいから、ますます御心を行いますね。青銅や大理石でできていて、目も見えない、耳も聞こえない像ではありません。私たちが信頼している神は生ける神です。万物を創造された神ですが、私たちが塵から造られたことも覚えていらっしゃり、実に優しく、個人個人のレベルに従って教えてくださいます。それが成長の元のように思います。
器用さはいらないし、不器用でも誠実にお従いすると、歓びが増します。だから、クリスチャンの人生は不完全なのに、歓びがあるという、この世のものとは違う歓びの人生なのです。
聖書からのアドバイス
40年の戦いを通して、学んだ最も忘れがたい聖句のいくつかをお話しして、私の証を終わります。
第一は、マタイ書6:33です。何をどう求めたらいいのかわからないときに示された聖句です。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
第二はルカ書23:34です。
「父よ。彼らをお許しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
聖霊様が私に行くように示されたある教会に通っていた時、執事の一人の行動で傷つき、苦しんだ後に与えられた聖句です。これにより人を赦すことの大切さを教えていただきました。人を赦すことにより成長し、重荷をおろすのです。自分から仕返しをしないのです。神様にお任せするのです。あなたを傷つけた人には、深い心の傷があるのかもしれません。私たちにわからないことも、神様は全てわかっていらっしゃいますから、その人の心が癒されるように働きかけてくださいます。
私は不用意にいろいろなことを言って、人を傷つけたことがたくさんありますし、今でも傷つけることがあります。そんな時はすぐに主にお詫びして赦していただいています。主は私たちが地の塵から作られたことを覚えていらっしゃいます。赦さないで憎んでいると、傷つけているのは自分なのです。神様からの平安も主にある歓びもなくなりますから、成長もありません。
第三は、ロマ書8:28です。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」
この聖句は何年も苦しんだ後に気が付いて、今でも大切なクリスチャンとしての生き方を示してくださいます。
最後はマタイ書11:28-30のイエス様のお言葉です。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。私は心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
これを理解するのに実に40年かかりました。ある時、悪いうわさ話を流され、自分の住んでいる地域ばかりでなく、シドニー中に、また、日本や他の国にいる友達など世界中に広がったと感じた時がありました。海外の友人からクリスマスカードが届かなくなり、電話も手紙も来なくなりました。私はソーシャルメディアを使わないのですが、子供たちが使っています。子供たちの様子もよそよそしくなり、冷たくなりました。そのころには、ああ、うわさ話が伝わったのだと感じました。でも人間の直感はあてにならないこともあります。じっと待とうと決めました。
マタイ書の聖句が示されたとき、「イエス様に従って生きているのに、こんなに苦しいのに、どうして荷を一緒に背負うことで休むことができるだろう」と思いました。
一昨年、吉田崇人さんとスザンナさんの結婚が決まり、ズームでの招待状が届きました。エバンズ牧師に「しゅうとさんというお名前は珍しいですね。どんな漢字を書くのですか」、と伺いましたら、説明してくださいました。「いいお名前ですね」とお返事して、ふと自分の「与至子」という名前に気が付いたのです。それまで私は、自分の子供に与えるのだと思っていましたが、聖霊様に目を開けていただき、「これは天のお父様にお預けする命のことだ」と気が付いたのです。それで、どうぞご自由に私をお使いくださいと祈りました。それで、生ける生贄として身を捧げました。
にも拘わらず、しばらくして、ああでもない、こうでもない、と頭の中で考えたのです。すると「自分に死んだ人はああでもない、こうでもない、と考えない」とお声がありました。全くその通りですよね。76年間自分の名前の本当の意味に気が付かなかったのです。驚きです。と同時に深い歓びに満たされました。それで、祈りますと、ストンと荷が下りたのです。びっくりしました。そして、マタイ書11:28-30の奥義に目が開けられたのです。自分で重荷を背負っていないのです。わたしがすることは、「どうぞお使いください」と捧げることだけです。後は全て、神様が背負ってくださるのです。だから荷は軽いのです。
マタイ書6章33節にある通り、私たち夫婦は食べ物や着るものに事欠いたことがありません。電気代やその他のものも払うのに事欠いたことがありません。こうやって日本に来ることもできました。
そして、悪口を言っている人は何をしているかわからないのですから、一番の生き方は赦すことだ、とわかりました。心に平安があります。自分で解決のできないことで心を煩わせなくなりつつあります。時々まだ色々と考えるのですが、その時間が短くなりつつあります。全て主のお心に負けせているのですから、安心していいはずですよね。ただ、まだ生身の人間ですから、肉の思いに捉われますが、どんどんその時間が短くなっています。それに気が付いた時は大変な歓びです。
最後の聖句では荷を全て主イエス様にお預けすることで、一切何の重荷も背負わないでいいと理解したのです。ハレルヤ、ハレルヤです。
私はいつも人より遅れていて、学ぶこと、悟ることが遅いのです。でもそれでいいのです。神様はそのような人間が歓んでお仕えするのを他の人にも見せてくださっているのかもしれません。
一人一人の性格を生かして、個人教授のように、家庭教師のように、まさしく柔和で理解のある父親、母親のように、少しずつ主は導いてくださっています。信じてお従いしてください。主は器用さよりも誠実さを喜ばれると信じます。
この機会をいただいたことで、私の信仰生活を顧みることができました。本当にありがたいお招きです。ありがとうございました。
皆さんが主に頼り、心安らかに歓んで主にお仕えになるように祈っています。