花とイースター

皆さんは、イースターにこのお花が飾られているのを見たことがあるでしょうか? 日本原産のこの白いユリは、純潔と復活を象徴し、元の和名「テッポウユリ」よりも「イースターリリー」という名で知られるようになるほど、世界中でイースターに使われているお花です。

この白い美しいユリの他にも、イースターになると色とりどりのお花が飾られ、私たちは、その生命力にあふれた鮮やかなお花で、キリストのよみがえりをお祝いします。これを書いている私も、過去のイースターには、お花のいきいきとした姿が、キリストの復活をあらわしているように見えました。

しかし、考えてみれば、この神様の美しい創造物も一週間もすればしおれてゴミ箱の中…  この”いきいきとしたお花たち”があらわしているのは、キリストの復活なのでしょうか、それとも、私たち人間なのでしょうか? 

聖書には、人間を草花にたとえた聖句がいくつもあり、聖書内でも、何度も引用されているコンセプトです。

詩編 103:15 – 16 「人の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを知らない。」

Ⅰペテロ 1:24 – 25 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。…」

キリストは、このお花のような私たちが滅びることのないように、新しく生まれることができるために、十字架でご自分を犠牲にされました。 今月の掲示板に載っている聖句です。

ヨハネ11:25 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

次お花をみたときには、ぜひ自分と重ねて、キリストが与える、決してしおれることのない命について、考えてみてはどうでしょうか?